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「神社結婚式」お父様、お母様の服装はどうするの?

投稿日: 2021年11月17日

寒くなってきましたね。いかがお過ごしでしょうか?

 

さて、最近、私の友人たちの娘、息子の結婚ラッシュでして、先日こんな質問をされました。
「神社式で、母親はドレスでは駄目かな??」

花嫁さんは白無垢だそうで、「それなら着物で合わせるのがマナーだと思うんだけど、移動もあるから、ドレスはどうかな?と思って。」とのことでした。

 

神前挙式の場合、新郎新婦が和装なら、ご両親も和装というケースが多いのは確かですね。(お父様はモーニングが主流ですが)

ただ正礼装のドレスでしたら、マナー違反ではありません。

大切になってくるのは、両家とお子様とのバランスですね。

 

並んで写真を撮影しますので、その時に、和装、洋装の種類や、両家両親、娘、息子で、統一感があることが一番大切だとアドバイスを返しました。

 

秋の婚礼シーズン。
ぜひ、ご質問もお待ちしております。



二十四節気では 立冬からが冬なんです

投稿日: 2021年11月5日

お天気続きで気持ちが良いですね。いかがお過ごしでしょうか?

 

「二十四節気」をという言葉を聞かれたことはありますか?

太陽が移動する天球上の道を黄道といい、黄道を24等分したものが二十四節気です。

夏至と冬至で「二至」二等分

春分、秋分で「二分」四等分

立春、立夏、立秋、立冬で「四立」八節

一節が45日。これを15日ずつ3等分にして「二十四節気」

さらに5日ずつ3等分し、時候を表したものが七十二候

です。(詳しくは二十四節気で検索しますと図解で分かりやすいです)

 

毎年同じ時期に同じ節気が巡ってくるので、昔は季節を知る「よりどころ」でもあったそうです。

天候や、生き物の様子を表す名前がつけられ、今でも年中行事や、時候の挨拶に使われます。

各節気の日にちは、毎年同じとは限らないので、その年のカレンダーで確認が必要です。

 

11月7日頃が、【立冬】
立冬から、立春の前日までが暦の上では、冬になります。木枯らしが吹き、冬の訪れを感じる頃。日も短くなり、木立の冬枯れが目立つようになる時期です。
冬型の気圧配置になる時期ですね。

今年は今のところ暖かい日が続いていますので、急に寒くなるかも知れませんね。

 

11月22日頃は【小雪 しょうせつ】です。
木々の葉が落ち、山には初雪が舞い始める頃です。冬とは言え、まだ雪はさほど多くないので、「小雪」と言います。
冬の入口に当たるわけです。

 

立冬は、火を使い始める時期なので、寺社では鎮火祭が行われます。
里芋やみかん、魔除けの赤飯をお供えします。
ちょっと面白いのが、亥の子の日です。(11月の第1亥の日)に、多産のイノシシにあやかって、亥の子餅を食べて無病息災や子孫繁栄を祈り、田の神にもお供えして、収穫を祝う風習が西日本ではあります。
【2021年は11月11日が亥の子の日です。】

この亥の子の日に、炉開きをすると火事にならないと言われており、こたつなど暖房器具を出したり、囲炉裏に火入れをして、冬に備える準備をするのです。

こんな風に、二十四節気に合わせた生活をしていると、季節を身近に感じることができ、心の潤いに一役買ってくれそうな気がする今日このごろです。



結納・顔合わせでの話題や、両家で確認しておくと便利なこと

投稿日: 2021年10月29日

すっかり寒さも増してきました。いかがお過ごしでしょうか?

 

さて、前回までは、私の友人の娘さんや息子さんが、顔合わせや結納をするときに、友人たちから、よく聞かれる質問について書きました。

 

そもそも結納なのか?顔合わせなのか?を確認することの大切さや、予約する日を決める際、六輝は気にするのか?しないのか?
結納品はあるのか?ないのか?
予約をするのは誰か?どんな場所がいいのか?
服装はどうすれば?支払いは誰がするのか?などを書きました。

 

結納品については、地方ごとに大きな差がありますので、近隣のデパートや結納屋さんを訪ね、確認するのが一番賢明です。

 

さて今回は、【顔合わせの席での会話】にふさわしい話題や、両家でせっかくなら話し合っておくと安心なことを書いてみたいと思います。

もちろん、一般的な会食のマナー通り、話の話題でふさわしくないのは、宗教、政治、他人の噂話、悪口です。

 

結婚するとなると、相手側の宗教について関心はあると思いますが、それについては、顔合わせまでにお互いの娘、息子を通して、お互いに話し合っておく方がいいでしょう。
顔合わせの場で、話がこじれ大喧嘩になったり、揉めたりしないようにしておきたいものです。

また、おめでたい席にふさわしくない、不幸なお話しや気持ちが落ち込むような暗い話題は避け、忌み言葉である「別れる」「切れる」「離れる」「割れる」などの言葉にも気をつけたいものです。

 

明るい話題を心がけ、場が明るくなるような内容がベストです。

差し障りのないお天気の話から始めて、お食事に出てくる食材などに出身地のものがあれば、そういった話題もお互いが話しやすい話題になるはずです。

また、新郎新婦の小さいときの思い出話などは、両家ともに興味を持ちやすく、場も和み、話も盛り上がるでしょう。

ただ、持ち物の自慢や食べ物についての自慢と取られるような内容のことは慎むのが賢明です。

 

また、話の流れで結婚式のスタイルや披露宴の招待客の顔ぶれ、段取り(日取りなども)を話し合っておくと、結婚式準備もスムーズに進むはずです。

娘、息子の結婚は、新しい家族が増え、人間関係が広がる場面です。
心を開き、お互いが気持ちの良いお付き合いのスタートとなりますように。



結納・顔合わせの日程と場所、支払いや予約はどうするの?

投稿日: 2021年10月16日

実りの秋、食欲の秋ですね。いかがお過ごしでしょうか?

 

さて、前回のブログでは、私の友人たちが「顔合わせってどうするの?」という質問をくれ、それは顔合わせなのか?結納なのか?確認した方がいいよ・・という話を書きました。

今回は、結納や顔合わせでは、どんな日を選び、どんな場所で行うのが良いか?を書いてみたいと思います。

 

まずは日程ですが、多いのは全員が揃う日で、大安や友引の午前中(正午)が好まれます。

挙式の1年~3ヶ月前くらいが一般的ですが、披露宴などを行わない場合は、
顔合わせを、入籍ぎりぎりにすることも多くなっています。

顔合わせは、正午前後にレストランに集まって、挨拶、会食というような流れが多いですね。

結納の場合なら、11時結納式、12時会食スタートといった感じが多いです。

お母様やお嬢様のヘアセットなどが必要な場合は、早めに美容院で予約を入れておくことが大切ですね。

 

大安や友引というお日柄を聞かれたことがあると思います。これは「六輝」と言うものです。

おめでたいことは、大安や友引の午前中に行うことが多く、
逆に避けられることが多いのが、万事凶とされる「仏滅」の日が多いのです。

これは、最近では意識しない人も多数で、縁起を担ぐという感じで、捉える人が増えています。

 

次に場所ですが、自宅よりも、レストランの個室を使用することが増えました。
結婚式場に相談をすれば、専用の個室を貸してくれる場合もあります。

式場が決まっているなら、「結納プラン」や「顔合わせプラン」など用意されていて、婚礼の試食もその日にできるような【お得なパッケージ】がある会場もありますので、聞いてみてもいいかもしれません。

 

予約は新郎新婦がされることが多いですが、結納として、しっかりとした形式をとる場合は、新婦家がお店のチョイスや、お日取りなど確認し、手配することが全国的に多いようです。

お支払いも、結納式の会食代金は、【新婦家が全額支払う】という地方が多いのです。
この理由は、自宅で結納式を行う場合、新婦家が食事を用意するというところからきています。

ただ、顔合わせなど結納の形式をとらないなら、支払いは折半(割り勘)という場合もあります。

 

また、コロナ渦なので、こういった挨拶は無しにして、【結婚式で初めて相手の親と会う】ことも、最近では珍しくないようです。が、できるだけ今後の末永いお付き合いを考え、子どもたちは安易に考えがちですが、お会いしておくほうが、安心ですよね。

 

今日は六輝のことや、顔合わせの会食について書きました。
次回は「会食での話題、両家で確認しておくと便利なこと」などをお伝えします。



子供の結婚が決まり、顔合わせをすることになったら

投稿日: 2021年10月6日

今年もあと3ヶ月と考えると、今年もあっという間だったなと感じます。

 

さて、緊急事態が明けたと同時に友人たちから、立て続けに「息子(娘)の顔合わせなんだけど、どうしたらいい?」という質問をもらうことが増えました。
こんな仕事をしている私としては、嬉しいかぎり!!

 

顔合わせと結納の違いや、お会計はどちらが持つの?
夫はスーツを着た方がいい?や、
私もスーツかな?ワンピースかな?着物じゃないよね?など、
いろいろな質問をいただきます。

 

まずは、結納なのか顔合わせなのか?を聞いても、「さあ??子供に任せて
いるから詳しいことは分からないのよ」ということが多いのです。

ここで、いつも私が友人たちにアドバイスしているのは、「顔合わせと結納は違うので、そこはしっかり決めておいた方がいいよ」ということです。

特に新婦側だと、娘から、「顔合わせだから」と聞いて、特に何も用意せずに出かけたら、当日、新郎家が「結納品」を持参しておられ、服装も改まったものを着ておられて、恥ずかしかった。という話を聞いたことがあります。

そうならない為にも、顔合わせなのか、結納なのかは、掴んでおきたいところですよね。

 

顔合わせの場合は、二人と両親(兄弟)で集まり、挨拶やそれぞれの紹介、会食をするというのが一般的です。

最近は、「顔合わせだけで結納はしない・・」いう形式も多く、その場合は、婚約指輪や、そのお返しを「顔合わせ」で持参するカップルが多いようです。

堅苦しい雰囲気ではなく、お食事をしながら挙式のことを決めたり、当日までの準備や新居の相談、結婚式のスタイルなども、その場で話し合ったりして、

2時間半ほどの食事中、結婚式の打ち合わせのような雰囲気になるご家族を拝見することが多いですね。

 

新郎新婦が手作りで、それぞれの両親の会話の助けとなるような冊子を作る・・なんてマメなことをするカップルも。

最近のカップルは器用でマメな方々が多く、プロ顔負けの冊子を作ったり。

それぞれの親戚や兄弟のことを話し、相手の家の家族構成などを知る機会になることが多く、冊子にも、そんな紹介を書いている二人が多いのです。

 

お母様の服装はスーツや落ち着いたワンピースがほとんどで、顔合わせで着物をお召しの場合は、一言、相手側に伝えておくほうが無難です。
相手側のお母様への配慮ですね。

また、座敷などの場合は、フレアースカートの方がラクに過ごせるかもしれません。

 

お父様はスーツで問題ありません。ビジネススーツというよりは、お洒落さを加えたようなスーツがいいでしょう。礼服は改まりすぎですが、これも相手側と格を合わせておくことが重要です。

顔合わせは色々な考え方があり、【普段着でざっくばらんに、打ち解けて会う】ということもありますので、そこは両家で新郎新婦を仲介しながら、お話をして決めるのが一番です。

 

さて、気になるお店の支払いやお店の予約などは、次のブログでご案内します。
今日もお読みいただいてありがとうございました。



和服から洋服へ その歴史 昭和戦後編

投稿日: 2021年9月26日

食欲の秋、読書の秋、皆様はどのような秋をお過ごしでしょうか?

 

さて、前回は戦中のもんぺ、かっぽうぎのお話をしました。
今回は、戦後の婦人服について勉強していきます。

 

戦後は物資不足で手持ちの洋服や着物、生地を仕立て直した「更生服」と呼ばれる服が作られました。
洋裁ブームに火がついたのも、時代背景が影響していたのでしょう。手持ちの素材から服を作り直すしかなかったのです。
流行したのは、いかり肩でウエストが絞られたフレアースカートや、
アメリカンルックのAラインのワンピースでした。

    
その後、機能的なアメリカンルックから、エレガントなパリモードへと流行は移ります。

クリスチャンディオールのニュールックや、ピエール・カルダンのサックドレス。
ニュールックとは、なだらかな肩のラインと細くマークされたウエストから広がるロングスカートが特徴です。
サックドレスは、サック=袋の意味で、寸胴形のまるで袋のようなシルエットのドレスのことを言います。
若者たちは、そんなパリモードだけでなく、独自のファッションスタイルを追求するようになりました。

 

50年代はミッチーロック、ロカビリーファッション、60年代はミニスカート、アイビールック、みゆき族、70年代はアンノン族、ニュートラ、ハマトラなどです。

 

現在の新郎新婦の親御様世代や祖父母様世代は、戦後、洋服が日本に根付き始めたこの時代の方々が多いのかもしれません。

 

4回に渡って、明治から昭和までの和服から洋服の変化について勉強して参りました。
時代と共に変化してきた日本の服装。
今後も時代と共に、そのファッションスタイルや流行が作られていくことでしょう。
フォーマルの場面の考え方も大きく変わっていくのかもしれません。



和服から洋服へ その歴史 昭和戦中編

投稿日: 2021年9月15日

9月も半ばとなりました。コロナ渦ですので、時々は自宅で虫の声に思いを馳せたいところです。

 

さて、前回、前々回と和服から洋服への変化の歴史をお伝えしてきています。

本日は、かっぽう着ともんぺについてから、始めていきましょう。

 

日中戦争がきっかけで、贅沢は敵というスローガンのもと、華やかな洋服は姿を消します。
国防婦人会の正式な会服である 「かっぽう着」で多くの女性が兵士の送迎や留守家族の支援などに従事し、かっぽう着姿は、一種の社会現象になりました。

 

空襲が始まると、活動性に優れ、製作も簡単ということで、女性は皆、モンペ姿で過ごしたそうです。

「もんぺ」とは、もともと東北の農山村の地方着だったということも、今回勉強して、私は初めて知りました。

胴回りと足首で絞ったズボンのことで、たしかにミシンが無くても、手縫いで作れそうです。

戦争という悲しい時代、おしゃれも出来ず、もんぺとかっぽう着で頑張っていた女性たちのことを考えると、今の私達が平和な世の中で食べ物にも困らず暮らせていること、それに好きなファッションが自由にできることが、どれだけ幸せかを、感じずにはいられません。

 

戦後まだ、たった76年ですが、こんな事実も少しずつ戦争経験者が少なくなり、意識が薄れてしまうことは、平和の大切さを軽んじていることだと、今回、洋服への変遷の勉強をして、改めて感じました。

これからも、平和を大切にしていくことは、私達が忘れてはいけないことですね。

 

さて、次回は戦後の洋服についてお伝えしていきます。

洋裁ブームや、ミシンの普及、クリスチャンディオールのニュールック、ピエール・カルダンのサックドレスや、若者たちのミッチールック、アイビールック、ニュートラ、ハマトラなど、洋服文化がしっかり根付いた昭和時代を勉強していきます。

参考文書 国立公文書館 アジア歴史資料センター(アジ歴グロッサリー)より



和服から洋服へ その歴史 大正編

投稿日: 2021年9月3日

気がつけば、9月に入りました。1年が本当に早く感じてしまうのは、年齢のせいでしょうか?

 

さて、前回のブログでは、「明治時代の和服から洋服への変化の歴史」に触れました。

今日はその続きの大正時代から始めたいと思います。

 

大正時代の着物は「大正ロマン」と言われる大胆な模樣や、大正緑や新勝色(紫味の青色)など、新たなファッションスタイルが登場します。
幾何学的なアールデコ模樣の着物が流行ったのですね。
今見ても、斬新で素敵なものが多いのです。

銀座にはモガ(モダンガール)、盛り場にはフラッパーが登場しました。

 

大正12年9月1日に起きた関東大震災で洋服の機能性が見直されるきっかけになり、簡易服の流行にも繋がったそうです。

また、女性の社会進出も洋服の普及を後押ししました。
バスガール(車掌)、電話交換手、カフェの女給の制服などが人気だったそうです。

ただ、大正14年の段階では、銀座を歩く男性の67%が洋服だった一方で、女性は1%だったのですから、まだまだ戦前、洋服女性は少数派だったのですね。

 

昭和に入り、女性の洋服が広まって行く中で、次第に洗練されたスタイルが流行したそうです。
昭和5年以降、スリム&ロングドレスや、スカート、ファー付きコートなど。
ですが、日中戦争で「贅沢は敵だ!」というスローガンが出され、華やかなファッションは次第に規制されていきます。

そして、戦時体制を特徴づける女性のファッションが登場します。

それが、かっぽう着、もんぺというスタイルです。

 

次回は、このかっぽう着ともんぺのところから始めたいと思います。

参考文書 国立公文書館 アジア歴史資料センター(アジ歴グロッサリー)より



和服から洋服へ その歴史 明治編

投稿日: 2021年8月28日

残暑が厳しい毎日ですが、いかがお過ごしでしょうか?

 

今日から数回に分け、日本の服装の文化について、私なりに勉強し、お伝えしていければと考えております。お付き合いくださいね。

 

今では、洋服を着ることが当たり前の日常となり、和服を着ることは、非日常という方が多いのではないでしょうか?

私自身、お茶のお稽古や結婚式、夏の浴衣など以外で、日常で和服を着ることはほとんどありません。

ですが日本では、わずか数十年前までは、和服が一般的だったのです。

 

日本で最初に洋服を着た女性は上流階級の貴婦人でした。

明治10年以降、不平等条約の改正を実現するために、日本が、欧米並の文明国であることを示す必要がありました。

社交施設の鹿鳴館を建設し、各国の外交官を招待して、連日舞踏を開き、招待側の日本の高官も西洋のマナーに習い、婦人を同伴して参加しました。

洋服を着こなすのはもちろんのこと、マナーやエチケットをわきまえ、ダンスを踊ることも文明国の一員であることを示す大切なプレゼンでした。
高官の婦人は国家的な使命が課せられていたのですね。
このことが、日本で洋服を着るようになった1つのきっかけです。

 

ですが、明治20年には、欧米化政策の熱も冷め、男女ともに江戸時代のような和服が復活しました。

そんな中、女学生のファッションに注目が集まりました。
西洋婦人の髪型を真似て、前髪をポンパドールにし、矢絣の着物、海老茶袴という姿です。
のちに世界的なオペラ歌手になった「三浦環さん」が女学生時代に、その姿で自転車を乗りこなす姿を、「ハイカラさん」の代名詞になりました。
(ハイカラとは西洋風でしゃれた人のこと)

昭和初期にセーラー服が普及するまで、女学生の定番スタイルはこれだったのです。

 

明治時代は、まだまだ裕福な一部の人達が、洋服を着始めた時代であり、まだまだ日常に洋服が普及する出来事ではありまあせんでした。

ある調べによりますと、大正14年時点でも、銀座通りを歩く女性の洋服は、わずか1%だったそうです。

 

次回は大正時代の和装から洋装の変化をお伝えしたいと思います。

参考文書 国立公文書館 アジア歴史資料センター(アジ歴グロッサリー)より



女性の昼間の正礼装ローブモンタント その明治の歴史を探る

投稿日: 2021年8月15日

8月ももう半ば、今年はまた梅雨が逆戻りのような日が続きますが、皆様、いかがお過ごしでしょうか?

 

今日はローブモンタントについて、少し勉強したいと思います。

ローブモンタントは、フランス語で Robe Montanteと書きます。
モンタントとは「上がる」「登る」「高まる」を意味していて、高い立ち襟のドレスを表しています。
夜の正礼装「ローブデコルテ」は肩や背中も露出しているのが特徴ですが、昼間は肌の露出を控えます。

 

女性の和装の礼服は明治11年に宮内省内達により定められ、次に明治19年には礼式相当の西洋服装が認められました。

その際に、通常礼服として規定された服装が「ローブモンタント」です。

 

明治天皇の后、昭憲皇太后が当時、昼食会や面会などの際に着用されていた「通常礼服(ローブモンタント)」が、全国の神社仏閣や服飾関係の学校法人などに10着以上保存されていたことが、2021年3月に東京新聞の調べでわかりました。

保存状態は概ね良好で、当時の多彩なローブモンタントの一端が浮き彫りになりました。
手作業で1つ1つ心をこめられ作られたことがわかる貴重な資料です。

明治神宮に2点、杉野学園衣装博物館に1点、文化学園服飾博物館1点、善光寺大本願に3点、長福寺1点、大本山誕生寺に1点など、所蔵されているそうです。
十二単から洋装に劇的に服制が変わった時代の貴重な資料であり、生地は国産なのか、フランス製なのかなど細かいことも調査されています。

 

ご興味がある方は、カラーでドレスの写真も紹介されていますので、「よみがえる明治のドレス、皇后の仕事着ローブモンタント11着 全国の寺社や大学に保存」の記事を検索してみてください。



結婚式、なぜご両親はモーニングと黒留袖という組み合わせ?

投稿日: 2021年8月5日

コロナ渦でのオリンピック。いろんなご意見があるかと思いますが、大会を運営されている関係者の方々や、ボランティアの方々に感謝しながら、テレビの前で観戦し胸を熱くしております。

 

さて、「結婚式で父上は洋装(モーニング)なのに、母上が黒留袖?」というご質問をいただきました。

これはカップルの結婚式のセレモニーが、神前式からキリスト式に移行してきたことに大きな原因があると言われています。

 

もともと、紋付き袴姿だったお父様の衣装が、チャペルでお嬢様とバージンロードを歩くとき、不釣り合いだということになり、モーニングを着用される方々が増えたからという説が一般的です。

本来はご夫妻で着物だったのが、チャペル式が増え、父上の洋装が定番になったんですね。

昔は確かに、新婦のお父様だけがモーニングで、新郎家のお父様は紋付き袴というスタイルもあったように記憶しています。

それよりもっと昔の写真などを見ますと、ご両家ともに、お父様は紋付き袴を着用されている写真がほとんどです。(ちなみにモノクロの素敵な写真がインターネットでも見られます)

 

私が大阪のリーガロイヤルホテルでプランナーを始めた1997年当時は、まだ神前結婚式も多く、父上が和装をされているお姿も多く拝見しました。

2000年頃からは、めったに父上の和装を見なくなりました。

最近は、お母様もチャペルに映える正礼装ドレスを着用されることが増えてきましたので、ご両親ともに洋装のスタイルも珍しくなくなる日が近いのかもしれません。



女性の正装とは?Vol.2 準礼装って?

投稿日: 2021年7月25日

梅雨明けした途端に真夏日や猛暑日が続き、なんだか体調もスッキリしませんが、私はハッカのアロマで蒸し暑さを撃退しています。
ブライダルマナーコンサルタントの岡澤 ひとみでございます。

 

さて、前回は正礼装について書きました。
今回は準礼装(セミフォーマル)について。

 

準礼装とは、正礼装に準ずる装いのことです。入学式や卒業式、結婚式に招待された場合などに主流となるスタイルです。
よく、「格式張った服装ではないが、改まった服装」と表現されます。
最近では、正礼装より準礼装のほうが、出番が多くなりました。

 

和装の準礼装は、訪問着や色無地。

洋装の準礼装は、昼間はセミアフタヌーンドレス。夜はディナードレスやカクテルドレスを指します。

 

素材はシルクや上質なウールが多く、昼間は光らない素材を用います。
夜はシルク、サテン素材など、光る素材を使用することが多くなります。

TPOという言葉がある通り、時間、場所、目的に合わせて、ふさわしい装いができることは、大人の女性として、とても大切なことだと感じます。

 

式典や結婚式で、似合うドレスを見つけると同時に、マナーまで配慮できるマダムを目指したいですね。

 

岡澤 ひとみ

 

~ママズドレスから~

岡澤先生のご紹介はこちらからもご覧いただけます。