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~お気に入りのコーディネートに!!~
投稿日: 2021年9月17日
ママズドレスでは、同色で同素材のセットも好評ですが、ボレロとドレスをお好みにコーディネートして頂く事も出来ます。
是非ご来店の上、お気に入りのデザインやコーディネートをご試着頂き、楽しいひと時をお過ごしくださいませ。
和服から洋服へ その歴史 昭和戦中編
投稿日: 2021年9月15日
9月も半ばとなりました。コロナ渦ですので、時々は自宅で虫の声に思いを馳せたいところです。
さて、前回、前々回と和服から洋服への変化の歴史をお伝えしてきています。
本日は、かっぽう着ともんぺについてから、始めていきましょう。
日中戦争がきっかけで、贅沢は敵というスローガンのもと、華やかな洋服は姿を消します。
国防婦人会の正式な会服である 「かっぽう着」で多くの女性が兵士の送迎や留守家族の支援などに従事し、かっぽう着姿は、一種の社会現象になりました。
空襲が始まると、活動性に優れ、製作も簡単ということで、女性は皆、モンペ姿で過ごしたそうです。
「もんぺ」とは、もともと東北の農山村の地方着だったということも、今回勉強して、私は初めて知りました。
胴回りと足首で絞ったズボンのことで、たしかにミシンが無くても、手縫いで作れそうです。
戦争という悲しい時代、おしゃれも出来ず、もんぺとかっぽう着で頑張っていた女性たちのことを考えると、今の私達が平和な世の中で食べ物にも困らず暮らせていること、それに好きなファッションが自由にできることが、どれだけ幸せかを、感じずにはいられません。
戦後まだ、たった76年ですが、こんな事実も少しずつ戦争経験者が少なくなり、意識が薄れてしまうことは、平和の大切さを軽んじていることだと、今回、洋服への変遷の勉強をして、改めて感じました。
これからも、平和を大切にしていくことは、私達が忘れてはいけないことですね。
さて、次回は戦後の洋服についてお伝えしていきます。
洋裁ブームや、ミシンの普及、クリスチャンディオールのニュールック、ピエール・カルダンのサックドレスや、若者たちのミッチールック、アイビールック、ニュートラ、ハマトラなど、洋服文化がしっかり根付いた昭和時代を勉強していきます。
参考文書 国立公文書館 アジア歴史資料センター(アジ歴グロッサリー)より
ブライダルシーズン到来
投稿日: 2021年9月14日
まだまだたいへんな時期ではありますが、いろんな工夫をしながらブライダルセレモニーが執り行われています。
ママズドレスでも引き続き衛生面、換気に気を付けみなさまのご来店をお待ち申し上げております。
新郎新婦さまのお父様、お母様、フォーマルコスチュームはお決まりですか?
お二人様同日にご試着いただけますのでとても便利です。
ご試着にはご来店予約を賜っております。ホームページ内ご予約フォーム、もしくはご希望店舗へお電話にておたずねくださいませ。
お母様も素敵!!
投稿日: 2021年9月10日
コロナ禍での結婚式のスタイルが、やや少人数でのご結婚式に変化していますが、新郎新婦様の気持ちはこれまでと同じです。
また、ご両親様の思いも変わらないように思います。
憧れのウェディングドレスを色々ご試着され、やっと決まった花嫁様もいらっしゃるでしょう。
ママズドレスではお母様も素敵!!とお写真や心に残るご結婚式のお手伝いをさせて頂きます。
秋のブライダルシーズンで、ご来店のご予約が重なることがございますので、是非、ご来店前にメールまたはTELにてご予約をお待ちしております。
秋のコーディネート
投稿日: 2021年9月7日
秋のご婚礼にご出席予定のお父様、お母様に向けてのシックなコーディネートのご提案です。
ママズドレスではお父様のモーニングをはじめ、お母様、ご親族様のフォーマルドレスをレンタルにてご用意しております。
お着物にしようか、お洋服にしようかお迷い中の方も是非一度ご試着にいらしてくださいませ。
ご試着にはご来店のご予約を賜っております。
ホームページ内のご予約フォームから、もしくはお電話にておたずねくださいませ。
みなさまのお越しを心よりお待ち申し上げております。
フォーマルドレスの色はどうやって決める?
投稿日: 2021年9月6日
ドレス選びの際に、気になるのが色です。
ドレスには黒留袖のような決まった色がなく、自由にお選びいただけます。
お式の雰囲気、新婦のカラードレスの色、お好みなどを考えて選ばれる方が多いです。
人気色の一つに、ネイビーがあります。
とてもシックな印象で、正統派イメージをお求めの方にぴったりです。
一方でピンク、ベージュやグレーなどの明るい色も人気です。
お父様が黒のモーニングですので、お母様が明るい色のドレスだと全体が華やぎます。
まずは専属スタイリストまでお気軽にご相談下さいませ。
皆様からのお問合せ、ご予約をお待ちしております。
和服から洋服へ その歴史 大正編
投稿日: 2021年9月3日
気がつけば、9月に入りました。1年が本当に早く感じてしまうのは、年齢のせいでしょうか?
さて、前回のブログでは、「明治時代の和服から洋服への変化の歴史」に触れました。
今日はその続きの大正時代から始めたいと思います。
大正時代の着物は「大正ロマン」と言われる大胆な模樣や、大正緑や新勝色(紫味の青色)など、新たなファッションスタイルが登場します。
幾何学的なアールデコ模樣の着物が流行ったのですね。
今見ても、斬新で素敵なものが多いのです。
銀座にはモガ(モダンガール)、盛り場にはフラッパーが登場しました。
大正12年9月1日に起きた関東大震災で洋服の機能性が見直されるきっかけになり、簡易服の流行にも繋がったそうです。
また、女性の社会進出も洋服の普及を後押ししました。
バスガール(車掌)、電話交換手、カフェの女給の制服などが人気だったそうです。
ただ、大正14年の段階では、銀座を歩く男性の67%が洋服だった一方で、女性は1%だったのですから、まだまだ戦前、洋服女性は少数派だったのですね。
昭和に入り、女性の洋服が広まって行く中で、次第に洗練されたスタイルが流行したそうです。
昭和5年以降、スリム&ロングドレスや、スカート、ファー付きコートなど。
ですが、日中戦争で「贅沢は敵だ!」というスローガンが出され、華やかなファッションは次第に規制されていきます。
そして、戦時体制を特徴づける女性のファッションが登場します。
それが、かっぽう着、もんぺというスタイルです。
次回は、このかっぽう着ともんぺのところから始めたいと思います。
参考文書 国立公文書館 アジア歴史資料センター(アジ歴グロッサリー)より
お父様のフォーマル
投稿日: 2021年8月31日
ご婚礼にふさわしいモーニングのご用意はお済みでしょうか。
ママズドレスではお母様のフォーマルドレスのご試着とご一緒にお父様も
ご試着いただけます。
是非ご両親様でご一緒にお越しくださいませ。
ご試着にはご来店の予約を賜っております。
ホームページのご予約フォームもしくはご希望店舗へお電話にておたずねくださいませ。
和服から洋服へ その歴史 明治編
投稿日: 2021年8月28日
残暑が厳しい毎日ですが、いかがお過ごしでしょうか?
今日から数回に分け、日本の服装の文化について、私なりに勉強し、お伝えしていければと考えております。お付き合いくださいね。
今では、洋服を着ることが当たり前の日常となり、和服を着ることは、非日常という方が多いのではないでしょうか?
私自身、お茶のお稽古や結婚式、夏の浴衣など以外で、日常で和服を着ることはほとんどありません。
ですが日本では、わずか数十年前までは、和服が一般的だったのです。
日本で最初に洋服を着た女性は上流階級の貴婦人でした。
明治10年以降、不平等条約の改正を実現するために、日本が、欧米並の文明国であることを示す必要がありました。
社交施設の鹿鳴館を建設し、各国の外交官を招待して、連日舞踏を開き、招待側の日本の高官も西洋のマナーに習い、婦人を同伴して参加しました。
洋服を着こなすのはもちろんのこと、マナーやエチケットをわきまえ、ダンスを踊ることも文明国の一員であることを示す大切なプレゼンでした。
高官の婦人は国家的な使命が課せられていたのですね。
このことが、日本で洋服を着るようになった1つのきっかけです。
ですが、明治20年には、欧米化政策の熱も冷め、男女ともに江戸時代のような和服が復活しました。
そんな中、女学生のファッションに注目が集まりました。
西洋婦人の髪型を真似て、前髪をポンパドールにし、矢絣の着物、海老茶袴という姿です。
のちに世界的なオペラ歌手になった「三浦環さん」が女学生時代に、その姿で自転車を乗りこなす姿を、「ハイカラさん」の代名詞になりました。
(ハイカラとは西洋風でしゃれた人のこと)
昭和初期にセーラー服が普及するまで、女学生の定番スタイルはこれだったのです。
明治時代は、まだまだ裕福な一部の人達が、洋服を着始めた時代であり、まだまだ日常に洋服が普及する出来事ではありまあせんでした。
ある調べによりますと、大正14年時点でも、銀座通りを歩く女性の洋服は、わずか1%だったそうです。
次回は大正時代の和装から洋装の変化をお伝えしたいと思います。
参考文書 国立公文書館 アジア歴史資料センター(アジ歴グロッサリー)より
~結婚式でのお母様のバッグは~
投稿日: 2021年8月27日
結婚式のようなフォーマルな場では、小ぶりな『バッグ』が基本です。
「たくさん荷物を入れたいから…」と大きな鞄はNGです。
また基本的には肩からさげるショルダータイプではなく、小さな『クラッチバッグ』や『ハンドバッグ』など手に持つタイプを選びましょう。
洋装における『バッグ』はドレスアップのための『アクセサリー』の一つです。
ドレスに合わせて、シューズとバッグを同じ色で揃えるのもお洒落です。
ママズドレスでは、ドレスに合った小物のご提案もさせて頂いております。
是非弊社スタッフに、ご相談くださいませ。
トータルでレンタル頂けます。
投稿日: 2021年8月24日
Mama’sDressでは、ドレスだけでなく、ドレスに合うネックレス、イヤリング、コサージュ、バッグ、パンプスも全てレンタルでご利用頂けます。
コーディネーターがアドバイスさせて頂きながら皆様楽しくお選びいただいております。
これからご婚礼に参列予定の方は是非一度お試しくださいませ。
ママズドレスはお父様を始めお母様、ご親族様の為のレンタルドレスをご用意しております。
まずはご来店予約をお電話やホームページのご予約フォームより賜っております。
みなさまのお越しをお待ち申し上げております。
女性の昼間の正礼装ローブモンタント その明治の歴史を探る
投稿日: 2021年8月15日
8月ももう半ば、今年はまた梅雨が逆戻りのような日が続きますが、皆様、いかがお過ごしでしょうか?
今日はローブモンタントについて、少し勉強したいと思います。
ローブモンタントは、フランス語で Robe Montanteと書きます。
モンタントとは「上がる」「登る」「高まる」を意味していて、高い立ち襟のドレスを表しています。
夜の正礼装「ローブデコルテ」は肩や背中も露出しているのが特徴ですが、昼間は肌の露出を控えます。
女性の和装の礼服は明治11年に宮内省内達により定められ、次に明治19年には礼式相当の西洋服装が認められました。
その際に、通常礼服として規定された服装が「ローブモンタント」です。
明治天皇の后、昭憲皇太后が当時、昼食会や面会などの際に着用されていた「通常礼服(ローブモンタント)」が、全国の神社仏閣や服飾関係の学校法人などに10着以上保存されていたことが、2021年3月に東京新聞の調べでわかりました。
保存状態は概ね良好で、当時の多彩なローブモンタントの一端が浮き彫りになりました。
手作業で1つ1つ心をこめられ作られたことがわかる貴重な資料です。
明治神宮に2点、杉野学園衣装博物館に1点、文化学園服飾博物館1点、善光寺大本願に3点、長福寺1点、大本山誕生寺に1点など、所蔵されているそうです。
十二単から洋装に劇的に服制が変わった時代の貴重な資料であり、生地は国産なのか、フランス製なのかなど細かいことも調査されています。
ご興味がある方は、カラーでドレスの写真も紹介されていますので、「よみがえる明治のドレス、皇后の仕事着ローブモンタント11着 全国の寺社や大学に保存」の記事を検索してみてください。