9月も半ばとなりました。コロナ渦ですので、時々は自宅で虫の声に思いを馳せたいところです。
さて、前回、前々回と和服から洋服への変化の歴史をお伝えしてきています。
本日は、かっぽう着ともんぺについてから、始めていきましょう。
日中戦争がきっかけで、贅沢は敵というスローガンのもと、華やかな洋服は姿を消します。
国防婦人会の正式な会服である 「かっぽう着」で多くの女性が兵士の送迎や留守家族の支援などに従事し、かっぽう着姿は、一種の社会現象になりました。
空襲が始まると、活動性に優れ、製作も簡単ということで、女性は皆、モンペ姿で過ごしたそうです。
「もんぺ」とは、もともと東北の農山村の地方着だったということも、今回勉強して、私は初めて知りました。
胴回りと足首で絞ったズボンのことで、たしかにミシンが無くても、手縫いで作れそうです。
戦争という悲しい時代、おしゃれも出来ず、もんぺとかっぽう着で頑張っていた女性たちのことを考えると、今の私達が平和な世の中で食べ物にも困らず暮らせていること、それに好きなファッションが自由にできることが、どれだけ幸せかを、感じずにはいられません。
戦後まだ、たった76年ですが、こんな事実も少しずつ戦争経験者が少なくなり、意識が薄れてしまうことは、平和の大切さを軽んじていることだと、今回、洋服への変遷の勉強をして、改めて感じました。
これからも、平和を大切にしていくことは、私達が忘れてはいけないことですね。
さて、次回は戦後の洋服についてお伝えしていきます。
洋裁ブームや、ミシンの普及、クリスチャンディオールのニュールック、ピエール・カルダンのサックドレスや、若者たちのミッチールック、アイビールック、ニュートラ、ハマトラなど、洋服文化がしっかり根付いた昭和時代を勉強していきます。
参考文書 国立公文書館 アジア歴史資料センター(アジ歴グロッサリー)より