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和服から洋服へ その歴史 明治編

残暑が厳しい毎日ですが、いかがお過ごしでしょうか?
ウエディングマナーコンサルタントの岡澤ひとみでございます。

 

今日から数回に分け、日本の服装の文化について、私なりに勉強し、お伝えしていければと考えております。お付き合いくださいね。

 

今では、洋服を着ることが当たり前の日常となり、和服を着ることは、非日常という方が多いのではないでしょうか?

私自身、お茶のお稽古や結婚式、夏の浴衣など以外で、日常で和服を着ることはほとんどありません。

ですが日本では、わずか数十年前までは、和服が一般的だったのです。

 

日本で最初に洋服を着た女性は上流階級の貴婦人でした。

明治10年以降、不平等条約の改正を実現するために、日本が、欧米並の文明国であることを示す必要がありました。

社交施設の鹿鳴館を建設し、各国の外交官を招待して、連日舞踏を開き、招待側の日本の高官も西洋のマナーに習い、婦人を同伴して参加しました。

洋服を着こなすのはもちろんのこと、マナーやエチケットをわきまえ、ダンスを踊ることも文明国の一員であることを示す大切なプレゼンでした。
高官の婦人は国家的な使命が課せられていたのですね。
このことが、日本で洋服を着るようになった1つのきっかけです。

 

ですが、明治20年には、欧米化政策の熱も冷め、男女ともに江戸時代のような和服が復活しました。

そんな中、女学生のファッションに注目が集まりました。
西洋婦人の髪型を真似て、前髪をポンパドールにし、矢絣の着物、海老茶袴という姿です。
のちに世界的なオペラ歌手になった「三浦環さん」が女学生時代に、その姿で自転車を乗りこなす姿を、「ハイカラさん」の代名詞になりました。
(ハイカラとは西洋風でしゃれた人のこと)

昭和初期にセーラー服が普及するまで、女学生の定番スタイルはこれだったのです。

 

明治時代は、まだまだ裕福な一部の人達が、洋服を着始めた時代であり、まだまだ日常に洋服が普及する出来事ではありまあせんでした。

ある調べによりますと、大正14年時点でも、銀座通りを歩く女性の洋服は、わずか1%だったそうです。

 

次回は大正時代の和装から洋装の変化をお伝えしたいと思います。

参考文書 国立公文書館 アジア歴史資料センター(アジ歴グロッサリー)より

 

岡澤ひとみ

 

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