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和服から洋服へ その歴史 大正編

気がつけば、9月に入りました。1年が本当に早く感じてしまうのは、年齢のせいでしょうか?

 

さて、前回のブログでは、「明治時代の和服から洋服への変化の歴史」に触れました。

今日はその続きの大正時代から始めたいと思います。

 

大正時代の着物は「大正ロマン」と言われる大胆な模樣や、大正緑や新勝色(紫味の青色)など、新たなファッションスタイルが登場します。
幾何学的なアールデコ模樣の着物が流行ったのですね。
今見ても、斬新で素敵なものが多いのです。

銀座にはモガ(モダンガール)、盛り場にはフラッパーが登場しました。

 

大正12年9月1日に起きた関東大震災で洋服の機能性が見直されるきっかけになり、簡易服の流行にも繋がったそうです。

また、女性の社会進出も洋服の普及を後押ししました。
バスガール(車掌)、電話交換手、カフェの女給の制服などが人気だったそうです。

ただ、大正14年の段階では、銀座を歩く男性の67%が洋服だった一方で、女性は1%だったのですから、まだまだ戦前、洋服女性は少数派だったのですね。

 

昭和に入り、女性の洋服が広まって行く中で、次第に洗練されたスタイルが流行したそうです。
昭和5年以降、スリム&ロングドレスや、スカート、ファー付きコートなど。
ですが、日中戦争で「贅沢は敵だ!」というスローガンが出され、華やかなファッションは次第に規制されていきます。

そして、戦時体制を特徴づける女性のファッションが登場します。

それが、かっぽう着、もんぺというスタイルです。

 

次回は、このかっぽう着ともんぺのところから始めたいと思います。

参考文書 国立公文書館 アジア歴史資料センター(アジ歴グロッサリー)より