【平林 都先生の生い立ち】
平林都のプライベートを暴露致します。
わたくしは鳥取県の田舎生まれの四女。物心ついた時には母親はいなく、父は社交的で、わたくしの元に戻ってきてくれたのは中学3年生の頃だったと存じます。
幼い頃から、父の兄妹の叔母3人にお世話になったり、姉に手をわずらわせたり、近所のおばさん、おじさん、おばあさん達にご迷惑をかけて、日替わりのように手をかけて頂きました。どこの家庭にもお子様がいらして、誰しも自分の子供が一番可愛いので居づらい日々もございましたが、どこでお世話になるとしても、子供ながらにどうにかして気に入って頂こうと、毎日気遣っておりました。
叔母が「都は役に立つネ」と姉達に皮肉として聞こえてくる日が多くありましたが、姉達は悪いことをしている訳ではございません。庭掃除をしなさいと仕事を頼まれたら、庭掃除を一生懸命しているので周りが見えなくなる。一番下の幼児のわたくしには掃除は当てにもされていないこともあり、人に気遣うことが癖になっていたので、あちらもこちらも目に入り、叔母が頼まなくとも先に動き、言われる前に仕事が増えてくることを感じるようになりました。
大切なことは、人と一緒にいる時は業務に専念せず、人がいない時に業務に集中すると仕事もはかどるということ。人と一緒でありながら食べることに夢中になったり、料理や飲み物を出すことに集中したりすると、周りが見えないということとなります。主婦の業務に自己満足してしまいがちですが、周りの方々は決して喜んではいません。
また、姉達に「ハンカチ入れた?」と父か母が言っていた言葉が耳に焼き付いています。わたくしが幼稚園に行く頃には両親共にいなくなっていたので、自分で自分のことをしなければならず、指示待ち人間にならずに済んだのは、指示を受けずに物事を先に先に運んでいかなければならないことが、大人になっても癖付いているからのように存じます。決して両親がいないほうがいいですヨと言っているのではございません。自分のへその緒を自分で切った訳でもなく、馬のように生まれて間もなく自分で母乳を飲める訳でもなく、自分が亡くなってから自分で骨上げすることは出来ないのです。
人は生きているだけでご迷惑をかけているし、お世話になっているので、神経を使うことは面倒くさいことと存じますが、古くさいと思えども、出過ぎることなく、気を配り、心配りをして日々過ごしていきましょう。わたくしは、これこそが接遇マナーと考えています。このようにプラス思考に考えられたのは、お世話になった周りの方々のおかげでございます。要領よく生かされた事も感謝致しております。人生で得したことを出来る限り皆々様に伝授していきたいと存じます。